パラサイトヒューマンの概要

(1)研究目的または目標

本研究は人間と共生関係を形成する新しいマンマシンシステムとしてのパラサイトヒューマン(以下PHと略する)の提唱・開発と同技術による人間行動の記録・解析と,行動原理のモデル化及び新しいマンマシンインターフェイス技術としての応用を目的とする.

(2)背景

近年,コンピュータの小型化・高機能化に伴ってウェアラブルコンピューティングの研究が開始されているが,その目的意識はモバイルコンピューティングの発展系であり,通常のコンピュータ端末を身につけて持ち歩いている域を脱してはいない.本研究で提唱するPHはこれとは逆の立場をとるシステムである.

PHは装着者に対するコンピュータ端末としてではなく,装着者を含む外界環境に対して人間と同様に感覚情報を取り込み,自ら運動する代わりに装着者に対して行動要求を出すようになる,共生型の装着システムである.

(3)仮説及び手法

本研究で提唱するPHはウェアラブルコンピューティングの技術を用いて製作される.

オペレータに着込まれる形で装着されるその感覚系は運動覚・視覚・聴覚・触覚など,人間のサブセットとなる知覚情報を人間と同様の次元数・スケールで外界情報を獲得し,自ら動くことが出来ない代わりに人間という機能単位の入出力に追随してその入出力関係を記録・学習し,これに適応した入力・行動要求をもって,装着者の行動を補完するような一種の共生関係を作り出す.これはある種の寄生型の人工生命のように作用するシステムである.

用いている実装技術・センサ技術といった各要素技術自体は既存の普及技術であり,その構成自体はごくシンプルなものである.同装置の狙いは同次元・同スケールのセンサと効果器を持ち,同構造・同空間配置から得られた情報の統合機能によって,人間の情報処理上の行動原理の第一次近似としてのモデルを得ることであり,人間の行動解析において,シミュレーションや特定局面での一時的な行動記録では特定しにくい複雑度を持った取得情報や対応する行動を同一視点で常時計測し続けることで,人間の身体的な構造に起因するスキルや行動ロジックを解析する一助とする.

このためにシミュレーションではなく実機による装着・計測実験を行う理由としては,人間行動の持つファクターが,それに関連した計測を行うことはある程度可能な次元数である一方,シミュレーションによってその働きを検証するには数理化に伴う複雑度が高すぎると考えられるからである.実測しつつ,その一次近似を抽出することが,人間行動の記録・解析と,行動原理のモデル化において,最も近道であると考えられることにある.

こうした一次近似モデルの獲得に当たっては,オフラインの統計的な数理解析と並行してPH内にオンラインの学習型の神経系というべき信号処理系を設ける.これに際しては脳研究の様々な知見から構成された計算モデルを用いると共に,本研究代表者が空間知覚と知覚運動協応における人間の不完全性を示す心理物理現象を神経系の後天的学習の特性として説明できることを数理的に証明するために用いたスカラ加算モデルを部分的に採用する.同モデルは,感覚・運動の定量的な処理に関わる系のためのモデルであるため,知能の高次機能に対応するものではないが,直接的な行動レベルのモデル化という本研究の目的にとっては十分利用可能なモデルである.

本研究の第2段階として,PHを単一個体ではなく一群を形成する個体数用意して,その装着者を同一コミュニティの中で活動させることによる効果についても検証する.

これは人間行動における社会性を計測・モデル化すると共にPH間の相互作用,さらにはPHを装着した状態での共生関係にある人間どうしの相互作用について検証するためである.こうした実装に際しては既存のIrDAやBluetoothなどの短距離通信規格が適していると考えられる.さらにこうしたPH同士の通信ばかりでなく,既存コンピュータとPH間の通信についても準備することによって,人間と機械の共生する系による マンマシンインターフェイスの新たな局面を切り開くことを狙う.本研究において期待される成果としては自然科学的な基礎研究に寄与する側面に加えて,同技術の最終的な工学的応用として,こうした新しい設計思想による適応型マンマシンインターフェイスとしての利用の側面において大きな成果が期待される.


(4)類似研究との差異

類似の先行研究として技術的側面では一連のウェアラブルコンピューティングの研究が開始されているが,その目的意識はモバイルコンピューティングの発展系であり,その入出力のインターフェイスは装着者に対する通常のコンピュータ端末と同じである.これに対してPHは装着者を含む外界環境に対して人間と同様に感覚情報を取り込み,自ら運動する代わりに装着者に対して行動要求を出すようになるシステムである.

また装着者の全身計測という観点からは,人間工学やスポーツ医学の観点からいくつかの試みがなされているが,被観測者と同一視点からの感覚情報と運動情報の同時計測を継続的に行った例はなく,また,その過程から学習・適応した行動教示を行うシステムもまた存在していない.人工知能や人工生命の研究の観点からみても,本研究はやや特異な位置を占める.

実世界に対する比較的単純な適応システムとして動作するという点ではBrooksらの提唱するサブサンプションアーキテクチャの研究の流れに近い側面を持ってはいるが,彼らの研究が昆虫の行動を基礎知見とし,自立したロボットと外界とが相互作用する系という観点から同研究を進めたのに対して,本研究では人間の知覚・行動系のメカニズムを基礎的知見とし,人間に寄生するようにして常時外界に対する人間行動の規範を同一視点からサンプリングし続ける系を研究の対象とする.

これは観察者が対象系の振る舞いに知能や生命を見いだせるかどうかという判断の基準において,人間類似型の知覚と行動というものが本質的な要因を含んでいると考えるためである.また,PHは自立型ではなく寄生型のロボットデバイスととらえることが出来る.

これは従来のロボット技術における人間との共生関係に関する研究と対極の側からのアプローチであるといえる.従来のロボットがアクチュエータを持ち,人間の活動を物理的に支援するように設計されきたのに対して,PHは人間の活動を感覚・情報の側面から支援するロボットとして位置付けられることになる.これに伴って人間との共存関係において研究の対象となるのは,従来の安全性や作業設計から利便性・有用性へ移行するであろう.


(5)これまでに得られた成果

PHの第1世代の試作機を構築するための技術は,テレイグジスタンス技術・バーチャルリアリティ技術におけるHMD(ヘッドマウンティッドディスプレイ)や身体運動計測技術の開発から,十分な設計・開発能力とノウハウを有している.また,筋電・脳波といった生体情報計測についても長期に渡って実験技術を蓄積しており,研究の実施についての不安要素は無い.PHの基礎的なセンサ機構,信号処理機構に関する数理モデルは,これまでに人間の感覚運動制御を数理的に解析してきた知見を利用し構成する.


(6)具体的な研究項目とその内容


1.パラサイトヒューマン設計のための予備実験 PHの設計・試作に先だって,各要素技術の適用実験と部分的なオンライン学習実験を行う.PH装着の効果を判断するに適した心理物理的現象について実験を行い,同装置の設計上有用な予備的知見を得ることを狙う.

2.第1世代パラサイトヒューマンの設計・試作 装着者と同一視点・同一次元数の知覚入力と,各運動部位に対応した提示出力をもった第1世代PHの設計・試作を行う.同装置を用いた行動実験と人間行動解析から得られた知見を設計にフィードバックし,PHのデバイスとしての改良を継続的に行う.

3.パラサイトヒューマン装着者による行動実験と人間行動解析 被験者を用いて実際にPHを連続装着した状態で行動実験と解析を行う.第1世代PHを用いた実験からは,共生型マンマシンインターフェイスのとしての装着者との相互作用の効果や,装着時の人間行動の変化などの基礎的な知見を得る.第2世代PHを用いた実験からは,群としてのPH及び装着者の行動と相互作用について基礎的知見を得る.同時に従来型のコンピュータ環境と装着者をつなぐマンマシンインターフェイスとしての工学的応用の側面を検証する.

4.第2世代パラサイトヒューマンの設計・試作 第1世代PHの設計・試作から得られたノウハウをもとに,複数の装着者による相互作用に主眼をおいた第2世代PHの設計・試作を行う.同装置を用いた行動実験と人間行動解析から得られた知見を設計にフィードバックし,PHのデバイスとしての改良を継続的に行う.


(7)将来の発展性及び当該研究課題の実施により期待される効果

本研究の一つ目の狙いは装着者と同次元・同スケールのセンサと効果器を持ち,同構造・同空間配置から得られた情報を統合するPHの機能によって,人間の情報処理上の行動原理の第一次近似としてのモデルを得ることであり,人間の行動解析において,シミュレーションや特定局面での一時的な行動記録では特定しにくい複雑度を持った取得情報や対応する行動を同一視点で常時計測し続けることで,人間の身体的な構造に起因するスキルや行動ロジックを解析する一助とする.

手法的にも従来の同期性の低い異視点からのオフライン計測では得られなかった新たな知見が得られることが期待される.このためにシミュレーションではなく実機による装着・計測実験を行う理由としては,人間行動の持つファクターが,それに関連した計測を行うことはある程度可能な次元数である一方,シミュレーションによってその働きを検証するには数理化に伴う複雑度が高すぎると考えられるからである.

実測しつつ,その一次近似を抽出することが,人間行動の記録・解析と,行動原理のモデル化において,最も近道であると考えられることにある.また,このような一次近似を得る過程において,PHに人間の入出力を真似させることで擬似的な能動性を持たせることを試みる.

これは哲学・心理学において近年思考実験として語られるゾンビ,すなわち人間と同様の入出力を行いながら自発性だけを欠いた存在に対して,客観的な知性や人格を定義できるかといった議論に対する工学的な実験であるとも言える.単なる真似だけではどのような要素が不足するのか,どのような要素が付加されることで,PHに知性や人格を感じさせることが出来るようになるのかといった課題も,実験プロセスの中に含めていく.

具体的な狙いとしては,オペレーターがPHをある種のペットか共生する生命であるかのように扱う段階に至ることを期待するものである.これは今後の自然科学において人間と知能,人格と主体性・自発性の関係や,生命観を考えていく上での第1段階となることを期待してのことである.本研究のもう一つの特徴として,PHを単一個体ではなく一群を形成する個体数用意して,その装着者を同一コミュニティの中で活動させることによる効果についても検証する点が挙げられる.

これは人間行動における社会性を計測・モデル化すると共に,PH間の相互作用,さらにはPHを装着した状態での共生関係にある人間どうしの相互作用について検証するためである.さらにPH同士の通信ばかりでなく,既存コンピュータとPH間の通信についても準備することによって,人間と機械の共生する系によるマンマシンインターフェイスの新たな局面を切り開くことを狙う.本研究の効果としては自然科学的な基礎研究に寄与する側面に加えて,同技術の最終的な工学的応用として,こうした新しい設計思想による適応型マンマシンインターフェイスとしての利用の側面において大きな成果と将来性が期待される.

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